国の発展と選択肢

食事の席でMM(医)嬢が「ブレイクアウト ネーション」という本にある見解や指摘について会話を仕掛けてきた。中国、韓国、インド、東南アジア諸国、BRICSなど新興国の勢いは今後どうなるか、ということを論じた書である。

会話に応じるため、酔っ払いエビの皿の向こうから手渡された本の、あとがきに要約された個所をその場の3分の速攻で読んでみた。 その要約の要約を私なりに無理やり一言でつづめると、「新興国は、結局、先進国に追いつけない」ということであった。

  • 長年日経新聞ぐらいは読んでいても、国際経済のことを分析的に論ずる力は、私にはまったく育っていない。 とはいえ、何か言わねばならない。 以前から「新興国が先進国に追いつくのはたいへんだろう」という思いは持っていた。そういう点では、この本の見解に同感ではある。 本の中身については何か言う資格はないが、自分の頭の引き出しに、殴り書き程度のメモがある。 それを引っ張り出して、だいたい以下のようなことを、放談した。 
  • 担税者からとって、育成部門に流す。これがうまくいくと国は成功する。儲けた部門が担税しないとき、あるいは、育成部門が育成価値のないものだったとき、あるいは、育成部門に流さず別の部門に流用してしまったとき、国は発展しない。
  • 人件費がバカ安という貧乏自慢も含めて、どんな貧しい国にも、世界と競争して勝てる部門があるものだ。「そこが勝っているうちに担税させて、別の育成部門に流し込んでもう一つの『勝てる部門』をつくる。最初に部門Aが担税し、その揚がりで部門Bを次の勝てる部門に育てる。部門Bが担税できるようになったら、AとBの揚がりで次のCを育てる」という再配分の実現が国の発展の原理だ。
  • 日本の明治期は、貧弱な農産部門に担税させつつ、官という部門、教育という部門から始めて、産部門でもなんとか成功した。肥大化した軍部門が管理不能になってなにもかもパーにしてしまったが、戦後は、軽工業に担税させた後、耐久消費物資産業部門と土木建設部門が担税部門になり、うまいぐあいに教育部門と医療福祉部門に分け前を回して、そこそこ満足度の高い国になった。ここ25年は、政治が再分配したい金額を担税できる有力な部門がなくなって、複数の中粒小粒の担税者しかいなくなった。これから先も見込みある担税部門はうまれそうにないから、政治が再配分したい金は借金してかき集めるしかない。点滴するだけでは生き延びられる時間は限られているから、見込みの無さにいらついた政治が突発的な痙攣をおこさないよう気をつけないといけない。アベノミクスも希望のともしびではなく、一種の痙攣にすぎないだろう。
  • ロシアでは、エリツィン時代に旧ソ連の官業部門を払い下げて、担税能力があるはずの財閥が生まれたが、財閥は担税を逃げた。エリツィン政府も次の育成部門を育てるための管理能力が低く、社会は停滞した。その後のプーチンが支持をうけているのは、エリツィンよりも、担税者から徴収する能力も、新規部門を育成する実行力も持っているからだ。ただ、資源という打ち出の小槌に頼る度合いが高いことが危ぶまれる。
  • 韓国は、いくつかの財閥が世界に勝てる部門となって、勢いがある。そこに担税させることによって次の新規の育成部門を育てればうまくいくはずだ。ただ、そうして育成される新規の部門も、実は既存の財閥が支配する一部門になっている。つまり、担税者と次の育成部門が同じになる。ふつう、出すのともらうのが同一人物なら、誰かに中に入ってもらう必要はない。この構造が国全体の発展のエンジン機構たりうるのかどうか、保証の限りではない。
  • 中国も、世界に勝てる部門を持つ一方、国内でも、身元が怪しい部門にも与信を拡大させる手法で大いににぎわっている。韓国同様、この国も、担税者である国営企業部門と育てるべき新規の育成部門が同じだ。しかも、どちらも至高の権力を持つ共産党の財布の内にある。この構造ではどうしても癒着や腐敗や利害相反を避けられないので、共産党が社会的徳目を実現する能力や遵法的管理能力を低下させた場合には、突然の大破局も考えられる。この古めかしい制度から脱皮することを13億の人々が選択する時代がくるのかどうかは予想しがたいが、脱皮するとしたら、北京・上海・広東・四川の異なった言語圏で4つの国に対等分社することで全体の活力を上げるのがよいだろう。どうしても共産党の支配をやめられないなら、各省に独立化した各省別共産党の共和によるユナイテッド・ステイツ・オブ・チャイナに衣替えするのがよいだろう。
  • 国の発展は、政治が国民に豊かな生活の継続を約束することからはじまる。政治は政策を選択し、国民の義務と国民への配分を定める。政策を選択するということは、「政策①を選択したときに部門Aは100発展するが部門Bは50後退するに対して、政策②を選択したときには部門Aは50後退するが部門Bは100発展する。どっちにするか、よーく考えてみよう」ということだ。①でも②でも全体の差引トータルは50のプラスで、どっちをとっても社会は同じ量だけ豊かになるのではあるが、自分の部門が損をする政策には誰しも同意できず、損をする側は「そちらがプラスになる100から、こちらが損をする50以上を埋め合わせするのはあたりまえだ。75を渡すなら、そちらもこちらも25のプラスとなって、公平な結果になる」と主張することになる。 政策①と政策②のどちらかを選択しなければならないという状況が生む深刻な諍いや対立を、社会全体としてどう吸収していくかは、どの国でも政治の核というべき課題だ。
  • 選択肢研究所は、政策①と政策②を比較吟味するところではない。政策③を創案するところでもない。誰かが発表したり報道したりして政策①や政策②のことが耳に届いたとき、選択肢研究所はそれを淡々と書き留める。そして、人々の役に立つようにプレゼンテーションに工夫して公開展示していく、しゃきしゃき★アンサーのような形でね。

 

所長 の紹介

選択肢研究所の所長です。
カテゴリー: 意見論点 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です